整形外科ならここに行け!

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スポーツでのけが~斉藤知行 横浜市立大学附属病院での受診レビュー

ウィンタースポーツでのけが

大学生の頃、スキーサークル(競技)に入っており、スラロームという種目の練習中に転んで靭帯を痛めました。その場で行った病院では軽く靭帯を伸ばしただけと言われましたが、地元に戻ってから近くの整形外科に行ったところ、切っている可能性があるのでMRIをとりましょうと言われました。結果を見たところ、前十字靭帯断裂という怪我と診断され、前十字靭帯再建術という、人口の靭帯を足に入れつなぐという手術を余儀なくされました。

整形外科で手術は出来ないので、横浜市立大学附属病院の紹介状を書いてもらい、診断に並び手術日を決め、入院日などを決めました。手術前検査などもあり、大変だったことを覚えています。執刀医の先生はスポーツの怪我に特化した有名な方らしく、手術してもらえるのはラッキーだよと言われたので安心しきっていました。
斉藤知行という方が私の担当をしてくださいました。
手術の後、2.3日経ってから大学病院のリハビリ科で足を動かすリハビリが始まりました。
左足を全く使えず筋肉がなくなってしまうため、太もも裏の筋トレなども行いました。ですが、痛みが強く上手く動かせなかったことを覚えています。

うまく体を動かせない私に先生は優しくアドバイスをくれました。

リハビリは主にひざ裏にやわらかいポールを入れ、太ももに力を入れる、ひざがガチがちになっているため、曲げ伸ばしの練習(かなり痛くて最初は全く伸ばせませんでした。)、ひざの動きを良くするため、ひざ小僧のマッサージなどがメインでした。リハビリ科の先生もとても優しく、入院中毎日のリハビリも苦ではありませんでした。

1週間に一度、斉藤知行先生が診に来て足の状態を確認してくれます。私は手術から3.4日頃から猛烈に痛みが出て夜も寝付けないというのが続いたのですが、診察の時に「何もないよね?大丈夫だよね?」と言われて大して見てくれなそうだったので、痛みがひどくて寝付けないことを伝えたらやっと包帯を取って状態を確認してくれることになりました。私のひざにはかなりの血が溜まってしまっていたようで、注射で3本分ほどの血を抜き取ってもらいました。その後はさっきまでの痛みが嘘のようになくなり感動しました。

入院1週間ほどで少しだけ足が曲がるようになったころ、リハビリも自転車のようなものを使い、太もも裏の力がどれだけあるかのチェックなども始まりました。かなり軽いものでも筋肉がなくなってしまっていて踏み込めませんでした。退院後は近くの整形外科で筋トレの毎日で、2週間-1ヶ月に1度程大学病院に行って確認してもらう感じで終わりました。長いリハビリ生活でした。

 

腰痛にお悩みならここ!!-福島県立医科大学附属病院紺野愼一-

腰痛で長い間悩んでいました。

椎間板ヘルニアにかかって、それはいったん良くなったのですが、ときどき痛みが出るようになりました。

軽い痛みだったら、なんとか我慢できたのですが、痛みはひどくなりました。

足も痛くなり、動くのがやっということもありました。

かかりつけの整形外科に行っても良くならなかったので、紹介状を書いてもらい、福島県立医科大学附属病院に行くことにしました。

その病院は腰痛の専門の先生がいることで有名でした。

他の病院に行って治らなかった人も、その先生に見てもらえば、良くなることが多いそうです。

半信半疑だったのですが、腰の痛みがひどかったので、とにかく行ってみることにしました。

担当していただいたのは紺野愼一という方でした。
紺野愼一先生は親切で丁寧な先生でした。

一番感心したのは、問診に時間をかけることです。

腰の痛みではなく、私の生活習慣についても詳しく聞かれました。

話しを聞きながら、私が痛いことを話すこと、それは大変でしたねと何度もおっしゃいました。

口先だけではなく、心からそう思っているのが伝わってきて、良い先生だと思いました。


診断と検査の結果は坐骨神経痛

痛みがひどいのは、椎間板が飛び出して、神経を刺激してるからだったのです。

検査が終わった後にレントゲンを見て、説明してもらいましたが、確かに背骨に飛び出しているところがありました。
その時は悲観的になっていたので、治りますかと質問したのですが、治りますと言われたのは嬉しかったです。

この人なら本当に私の腰痛を治せるのではないかと思いました。
まずは保存療法をしましょうと言われました。

手術する方法もあったのですが、病院に入院しないといけないので、それは避けたい気持ちがありました。

会社が忙しい時期で、自分が休むと同僚たちに迷惑をかけそうでした。
薬と物理療法が始まりました。

前行っていた整形外科と似た治療ですが、細かなところは異なっていました。

薬の処方の仕方がきめ細やかで、痛みが少ないときは薬の量が少なくなりました。

物理療法は牽引が多かったのですが、牽引の時間も痛みによって変わりました。

薬を同じ量飲まずに済んだのは助かったと思います。

前の病院で痛み止めの薬を飲みすぎて、お腹を壊していたからです。

それから紺野愼一先生には運動をするように言われました。

運動と言っても激しいものではなく、ウォーキングです。

それまで私は体を動かすことが嫌いでしたが、治りたい一心でウォーキングをするようになりました。
これらのことが効いたらしく、腰の痛みは治まっていきます。

手術をしないでよかったのも助かりました。

久留米大学病院 志波直人先生の受診レビュー

20代の半ばで結婚をして

幸せな人生を送っていました。30代になった今では、二人の子供ができて、そこそこ良い暮らしだと思っていたのですが、30代半ばを過ぎたあたりから腰の痛みが出て、家事が思うようにできなくなってしまいました。ただの腰痛だと思っていずれ治ると思っていたのですが、ある日重いものを持った時に、すごい痛みを生じてしまい、腕が腫れてしまったので、久留米大学病院の整形外科で診てもらうことにしました。

志波直人先生に診てもらったところ、腕が骨折しているということでした。重いものとは言っても、日常的に持つような、そこまでひどく重いものでもないので、骨折なんてするとは思わなかったのでびっくりしてしまいました。

また、腰の曲がりがあるということで、骨粗鬆症の疑いがあるというので、検査することになりました。

まさかこの歳で骨粗鬆症なんて起こるのかとびっくりしてしまいました。

骨粗鬆症の検査をしたみたところ、骨密度がかなり減少しており、背骨も圧迫骨折を起こしているということを聞かされました。骨粗鬆症は老人がなるものとばかり思っていたので、あまり信じることが出来ませんでしたが、実際にレントゲンを志波直人先生より見せてもらって納得しました。

まずは、腕と、背骨の圧迫骨折の治療をしました。コルセットを付けて保存療法で治療をして、腕の骨折もギブスで固定をして治療をしました。

食事療法と運動療法薬物療法をやり、普段の食生活から特に何をとったらよいかなどとても親切に教えてくれました。カルシウムだけではなく、ビタミンKやDなどの栄養も摂ることも有効などと知らなかったことも多かったのでかなり勉強になりました。

以前は運動なんかはあまりしなかったのですが、運動療法もとくにきつい運動をするわけではなく、思ったよりも大変ではなく、ストレッチなどから初めて、ウォーキングなどもしました。車をよく使っていてあまりウォーキングなどをしたことなかったので、近所でもいろいろな発見をすることができてとても楽しかったです。

大学病院の整形外科に通って治療を行ってから、以前の腰の痛みなどもすっかりと良くなり、骨密度も以前と比べるとかなり上昇し、子供とも遊ぶことが出来るようになりました。

大学病院の整形外科で治療をしてもらってからというもの、以前よりも身体の調子がよくなり、毎日が已然よりも楽しく幸せだと思うことが出来るようになりました。志波直人先生にはとてもお世話になりました。

愛媛大学医学部付属病院 三浦裕正先生から治療を受けて

私は、とある企業のフットボールの選手をしております。高校時代から初めて、数々の大会に優勝し、会社ではそれを認められて就職することができました。

仕事とスポーツが生きがいの人生

仕事とフットボールの両立はかなり大変で、休みの日はほとんど練習に費やしております。仕事と同じくらい大切なので、両方手を抜くことが出来ませんが、そんな生活に生きがいを感じておりました。

しかし、試合を3か月後に控えたある日の練習でタックルをしたところ、肩に強い痛みが出て、病院に運ばれました。運ばれた病院では、肩関節脱臼ということで、しばらく治療を受けていたのですが、フットボールのコーチが愛媛大学医学部付属病院の整形外科に転院することを勧めてくれました。大学病院の整形外科の方が完治するのも早いので、もしかしたら試合までに治療を間に合わせて、練習をして仕上げることが出来るかもしれないということでした。そのため、私はコーチの勧め通り整形外科の大学病院で治療を受けることにしました。

転院して、三浦裕正先生に以前の病院よりも本格的な治療を受け、治りが早く、先生にはとても正確な治療をしてもらいました。

治療が終わった後のリハビリもとても重要だということで、リハビリでは、肩関節周囲の筋肉を鍛えることで、再び脱臼を起こさないようにすることができるということで、リハビリも積極的にやりました。

大学病院の整形外科でしっかりとした治療を受けることが出来たおかげで、日常生活にも不自由がなく、リハビリのおかげで再び脱臼を起こすことはありませんでした。治療後は、おかげで思いっきり練習をすることができました。どんなに強くタックルをしても大丈夫です。

町医者と大学病院の差

大学病院の整形外科に転院を勧められたときになんでわざわざ転院する必要があるんだろうと思っていたのですが、コーチのいう通りに転院して正解でした。私の知っている人の中には、治療後にまた再び脱臼をして、惜しくも試合に出られなかったという方も何人かいたので、治療後しっかりと治るかということが心配でしたが、リハビリがしっかりしているおかげで本当の意味でしっかりと治すことができたのでとても良かったです。

おかげで、試合までに存分に練習をすることができ、身体も治療前とほとんど変わらない状態で試合に臨むことができました。

おかげで試合の結果は私達のチームが圧勝しました。肩関節脱臼と診断されたときには、試合に出ることができるか心配だったのですが、試合に出ることが出来たうえに優勝までできて自分は幸せです。

山本謙吾(主任教授)の変形性膝関節症保存療法受診レビュー

  • 恥ずかしい話ですが私は48の趣味でバンドのドラムをたたいているのですが、私は強くバスドラムをキックするせいか膝を痛めてしまったのか、最初はちょっとずきずきしていたくらいだったのですが、ライブが近く少し無理をしてしまったせいで、演奏ができなくなるぐらい痛みが出てしまいました。ライブが終わったあとでよかったと思いきや、次のライブができない!急いで病院に行きました。

 

友達から膝に詳しい先生がいると聞いて、東京医科大学病院へ。

古くからある立派な病院で、ここまで来たらもはや趣だなぁなんて思いながら、診察の順番待ちをしていました。

スタッフの方たちも忙しそうにはしていたのですが、どことなく親切ではたから見ていても優しい対応をしていたように思えます。とうとう私の順番に、担当していただいた先生は、ファーストインプレッションはとにかくやさしそう。

親身になって自分に対応してくれそうな先生でした。「担当する山本謙吾です。」と自己紹介していただきました。

  • 山本謙吾先生の診察は、問診、触診、レントゲンを撮り、結果は変形性膝関節症とのことでした。やはり、ドラムが原因の可能性もあると説明を受けました。軟骨つぶれてクッションの役割を果たさなくなってくると、骨同士がぶつかり半月板がすり減るといったことが痛みとしてでるそうです。

治療としては、運動療法で筋力の増加、悪化しないようにして、湿布を貼ったり、マッサージをしたり、今では痛みはだいぶ治まりました。

今となっては、足腰に負担をかけるドラムは止めてジャンルはだいぶ変わってしまいましたが、パーカッションに転向してしまいました。

新しい仲間と楽しく演奏ができています。

人工関節手術という治療法もあったのですが、最悪の場合を考えると踏み出せず、山本謙吾先生にはいろいろと相談に乗っていただきました。

迷惑な患者なんだろうなぁなんで考えながらも色んな事を質問し、自分の納得のいく治療ができました。

山本謙吾先生は人工関節手術を得意とする先生とインターネットで調べて出てきたときにはなんか失礼なことをしてしまったと。

すごく申し訳ない気持ちにはなりました。いろんな論文を書いているそうです。素人の私にはわからないのですが・・・;

とにかく真摯に私と向き合っていただきとても助かりました。

親身になって担当していただいた、山本謙吾先生とスタッフの方たちには、感謝の言葉でいっぱいです。

ありがとうございました。

山本謙吾先生の外反母趾治療体験談 ~東京医科大学病院整形外科~

 

山本謙吾先生から外反母趾治療を受けました。

 私は現在37歳で、仕事はメディア業界で働いています。

私の趣味はファッションで、中学生の頃からハイヒールを履いたり、とにかくヒールがある靴ばかり履いていました。

この頃から自分では気づきませんでしたが、外反母趾の予兆が見えており、

就職した当初は、メディア業界ですと接待なども一般的な会社よりも多く、やはりハイヒールを履く機会が多く(好きという事もありますが)、最初の頃は親指近辺が痛くても帰ってマッサージなどを続けてきましたが、どんどん足の指、特に親指が外に向いていっていると気づきました。

それでも特に痛みはないですし、休日の時だけ普通の靴を履けば大丈夫かと気軽に考えていました。

そんな感じで数年たったある日、「いつもの朝」出勤の時に「いつもの様に」靴を履くと、急激に足の指の付け根に痛みを感じました。

しかし不思議な事にその痛みは歩き出すとすぐに収まったんです。

おかしいなぁと感じながらも足の指の向きは一向に治らず、更には痛みが出る頻度が多くなってきました。

まさか自分が外反母趾だったなんて…

そんな時に当時付き合っていた彼氏に「お前の外反母趾悪化しすぎじゃない?」と言われそこで私は「自分は外反母趾なのか」と気づきました。

恥ずかしい話ですが、私は外反母趾という言葉は知っていましたが自分は大丈夫と考えており、全く気にしていませんでした。

更に彼氏から「大きい病院で診てもらった方がいいんではないか」と言われ、その時新宿に住んでいたという事もあり近くの東京医科大学病院の整形外科を受診しました。

しばらく待って私の名前が呼ばれ、診察室にはニコニコ笑ってとても感じがいい先生がいらっしゃいました。

感じの良い先生だなぁと名札を見てみるとその名札には山本謙吾と書いてありました。

私は手術とかするのかなぁとドキドキしながら山本謙吾先生と話をしていると先生は手術ではなく、まずは矯正をしましょうと仰いました。

矯正と聞くとギブスですか!?と私が言うと山本謙吾先生は笑いながらインソールで治しましょうと、インソールを処方して頂きました。

本当にこれで治るのかな?と半信半疑で処方されたインソールを履きながら、山本謙吾先生に言われた事を守り、しばらく経つと、徐々にではありますが足の痛みが治ってきました。

その後かなりの月日が経ち、ハイヒールを履くのを控えている事もあり、現在ではほぼ完治の状況になりました。

手術か、矯正か先生は凄くなやんでいらっしゃいましたが山本謙吾(主任教授)の治療方針はあっていたんだなぁと感じております。

東京医科大学病院の整形外科の先生方には非常に感謝しております。

山本謙吾の評判-東京医科大学病院 整形外科

私は東京医科大学病院の山本謙吾(主任教授)にお世話になった事があります。

治療が全て終わった後、ネットで「山本謙吾」と調べると数々の論文も出されている優秀な先生という事が分かりました。

私は赤ちゃんの頃に股関節の形成不全がありました。

股関節を広げて固定をする治療を数か月続けていたそうです。

私の姉も同じように形成不全があったため、遺伝等の心配があり出産後子供達も市の健診とは別に整形外科へ連れていき診てもらいました。

3人の子供のうち2人は同じように股関節の形成不全があり、リーメンと呼ばれるベルトをつける治療をしました。

1人は股関節は問題ありませんでしたが、歩きだした頃に歩き方に特徴があり診てもらうと内転ぎみということで3歳まで定期的に通い診てもらっていました。

1人の子供が4歳になった頃、足首や膝の関節を痛がるようになりました。

市立病院にも行ったが状況はあまり変わらず、、、

市立病院の小児科に定期的に通っていたので相談してみると、成長痛のような物ではないかと言われ私自身も良く耳にしていたのでそう思い様子を見ていました。

ところが、3連休の初日に子供が突然股関節の痛みを訴えて足を引きずって歩き出しました。

夜にも痛がって起きてしまい次の日も同じように痛がりました。

いつもなら数時間程で痛みを訴えなくなるので心配になり休日も診療をしている整形外科へ連れていきました。

そこでは、レントゲンを撮ったのですが子供は怖がって泣いてしまい大変でした。

レントゲンは問題はないけれど、骨肉腫等は写らない事もあると言われこの病院では子供が小さい為血液検査も出来ないし精密検査ができないという事で東京医科大学病院への紹介状をもらい、行く事になりました。

東京医科大学病院の山本謙吾先生は整形外科では成長痛という言葉は使わないという事を言われました。

骨肉腫の事を聞いていたのでとても心配でしたが、山本謙吾先生からするとあまり心配はなさそうとの事でしたが、念のためレントゲン等様々な検査をしてくれて特に癌のような異常は見当たりませんでした。

そして母親の私や兄妹に股関節の形成不全があったためそういう事も関係あるのかもしれないという事でした。

その為その後何度か整形外科のリハビリ科のような所に通い足の動かし方を見てもらい正しい歩き方や座り方、動作の指導を行ってもらいました。

ただ、まだ小さい為あまり効果があるか分からないという事と定期的に通い様子を見て行きましょうという事になりました。

痛みが強い時はすぐに受診するように言われましたが、我慢できるようなら塗るタイプの薬と湿布薬を処方してもらいました。

骨肉腫等の癌はとても怖いですが股関節の形成不全等も気付かずに年をとってしまうと痛みが出る事も多いので、今回東京医科大学病院のような大きな病院で専門の、更には主任教授クラスの先生に診てもらい安心しました。


【東京医科大学病院 診療科紹介】 整形外科